2012年4月18日水曜日

9.3号機ベントに待ったをかけた?部長



3号機は原子炉隔離時冷却系RCICが止まり、再起動できなくなりました。(原因不明)

原子炉圧力が上がり、高圧注水系が立ち上がりました。
高圧注水系は
原子炉圧力容器と格納容器との圧力差で
動作するのですが、その圧力差がなくなり自動停止しました。
すぐに消火系ポンプで冷やそうとしたのですが間に合いませんでした。

中間報告は、
作業員が勝手に高圧注水系を止め、手際の悪さと逃がし安全弁が開かない不幸が重なり、原子炉圧力容器に注水できなかったとしています。

作業員が高圧注水系を止める計画を立て、勝手に止めるでしょうか?
しかも、
止めることを報告もせず
相談されて止めることを知った者も報告せず
止めた後に、班長に報告し
班長は「手動停止か?自動停止か?」も確かめず、
東電本店に「手動停止か?自動停止か?」と問われ、
班長は「手動停止」を「自動停止」と聞き間違え、
班長は何十人もいる中でマイクを通して
「自動停止」
と所長や東電本店に報告したそうです。

とても信じられません。事故隠しのように思えます。

ここでは、高圧注水系は自動停止したと仮定します。

今回はベント作業がメインです。
2号機の注水作業は省略します。

中間報告は時系列がわかりにくくなっています。

ベント作業の簡単な時系列は

3130450分 圧力抑制室のベント弁大弁の開操作失敗
②    0523分 圧縮空気が無いため、ボンベ交換が必要と判断
       時間不明 ボンベ交換
④    0841分 大弁が開き確認へ
⑥    0908分 逃がし安全弁による原子炉圧力の急速減圧 
⑦    0924分 ベント実施されたと判断
⑧    1117分 ボンベの空気がなくなり大弁が閉じる
⑨      1230分 ボンベ交換・大弁開
⑩    時間不明 大弁を開いた状態でロックしようとするが失敗

ベントは格納容器を守るものなので、1度ベントすればしばらく時間的な余裕ができます。・・

3140610分 小弁を開ける・・その後も数回繰り返す。

爆発は141101分でした。

資料は

です。

P199
(4)2 号機及び3 号機の原子炉格納容器ベントの準備状況
3 12 17 30 分頃、
原子炉格納容器ベントラインを完成しておくように指示をした。

2 号機及び3 号機ついて、原子炉格納容器ベント弁(MO弁)は手動で開操作できるものの、S/C ベント弁(AO 弁)は手動で開操作できないことが判明した。

3 12 日夕方頃、
2 号機の原子炉格納容器ベント弁(MO弁)を手動で25%開とした。
1219 10 分頃、ラプチャーディスク破裂の影響で水素ガス爆発を引き起こすことを懸念し、一旦開けた原子炉格納容器ベント弁(MO弁)を閉操作させた。

水素ガス爆発の危険を承知でベント作業をしているはずですが?
ベントする時に放射線量が高くなり、原子炉建屋に入れない事も考えられます。開いた弁を閉じる合理的な理由ではありません。

メモ28
Takanosunotama.blogspot.jp/2011/06/28.html
によると、2号機については2011619日朝日新聞朝刊に
121730分 ベント準備指示(所長)
必要な弁をあらかじめ開けておくことと」
とあるようです。ただのツジツマ合わせに思えます。

P200
S/Cベント弁(AO弁)大弁は、電磁弁をバッテリーで励磁して開けるとともに、AO 弁に空気圧を送って開操作する必要があった。
2 号機及び3 号機のR/B 内に敷設されていたIA 系配管に備えられた空気ボンベの栓を開け、S/C ベント弁(AO 弁)開操作することとした。

常識的に空気ボンベの栓も中央制御室で操作可能だと思います。
1号機ではバッテリーでMO弁を開けています。MO弁と同様に空気ボンベの開栓できると考えられます。普段、空気ボンベを使う時にいちいち手動で空気ボンベを開栓しているわけがないからです。

P201
(5)3 号機の原子炉格納容器ベント実施状況

3 号機の原子炉格納容器ベントについては、手順通り、まずS/C ベント弁(AO弁)大弁を開とした上で、原子炉格納容器ベント弁(MO弁)を手動で開とする手順とした。

原子炉格納容器ベント弁(MO弁)は直流電源です。
直流電源がないと逃がし安全弁も開きません。
逃がし安全弁が開かないとベントは完成しません。
直流電源=バッテリーが確保できたからベントができたのです。
原子炉格納容器ベント弁(MO弁)は操作盤上で操作できるのです。矛盾した手順です。

P201
13 4 50分頃以降電磁弁励磁用の端子にケーブルを接続して、電磁弁を励磁した。
S/C ベント弁弁(AO 弁)大弁駆動用の空気ボンベの充填圧力を確認するとゼロを示していた。

準備段階で圧力も確認しなかったようです。
ひどいなあ~!
1号機では圧縮空気がなくてベントが遅れました。
情報共有ができておらず、発電所対策本部は全く役にたっていません。
また、13 50分頃以降に電磁弁を動かす程度の直流電源はあったことになります。


P201
135 23 分頃ボンベ交換した上、リーク箇所の有無や空気圧を確かめて健全であることを確認し、IA 系配管内の空気圧を確保した。

引き続き、発電所対策本部復旧班は、3 号機R/B 地下1 階のトーラス室に、S/Cベント弁(AO 弁)大弁の開閉状態を確認しに行こうとしたが、放射線量が高かったため近寄ることができず、同日8 時頃、中央制御室に引き返した。

作業の手順ですが・・
原子炉建屋R/Bでボンベを交換し、IA系配管の圧力を確保します。

中央制御室ではS/Cベント弁(AO弁)大弁を開ける仕組みは
電磁弁をバッテリーで励磁して開けると、圧縮空気がS/Cベント弁(AO弁)大弁に流れ込み開くのです。
S/Cベント弁(AO弁)大弁は中央制御室で開けたのです。
大弁確認する合理的な理由がありません。
訳の分からない説明です。
しかし、
523 圧縮空気を確保して、8頃に中央制御室へ帰った」
ことになります。

2時間37分も何をしていたのでしょう??

P202
3 13 5 50 分頃、東京電力は、3 号機の原子炉格納容器ベント実施に関するプレス発表をした。

137 35 分頃、ベントをした場合の被ばく評価結果を官庁等に報告。
137 39 分頃、D/W 圧力を十分下げるため、D/W スプレイを開始

同日7 56 分頃、吉田所長は、官庁等に、その旨報告した。
本店対策本部は、発電所対策本部にD/Wスプレイの実施を中止するように指示をした。
840 分から9 10 分にかけて、残留熱除去系RHR 注入弁を手動で開操作し、D/W スプレイの弁を手動で閉操作した。

??ドライウェルD/Wスプレイや残留熱除去系は
電磁弁を開くのとは桁違いの電力が必要だと思われます?
車のバッテリーで動かせるようなものとは思えません。??


それに、残留熱除去系は交流電源で動くのではなかったか?(よく覚えていない)


ひょっとすると、ここで直流電源が枯渇したのかもしれません。

逃がし安全弁が開かなかったのは圧縮空気がなかったから?
IA配管系がリークして圧縮空気がなくなっていたのかもしれません。

IA配管系をストレステストで調べているのだろうなあ~?

NHKニュースで流れた時、3号機のバッテリー電圧のチャートがあったのですが・・・
バッテリー切れは当時あまり話題にならず、新聞では報道されませんでした。
ネットで探しても私には見つかりません。
あれば、バッテリーの切れた時間を特定できるのですが・・・

P202
138 41 分頃
R/B2 階に立ち入り、原子炉格納容器ベント弁(MO 弁)を15%開とし、原子炉格納容器ベントラインの構成を完了した。

138 56 分頃、500μSv/h を超える線量(882μSv/h)を計測
139 1 分頃、原災法第15 条 敷地境界放射線量異常上昇を報告

139 8 分頃、SR による原子炉の急速減圧を実施。
139 25分頃、淡水注入を開始した。



上の図のD/W圧力S/C圧力のグラフを見てください。
ドライウェル圧力上昇とある所が「逃がし安全弁」を開いた時間です。
圧力抑制室ベント弁を開いても、最終的にラプチャーディスクと言うものを壊さないとベントは完成しません。
ところで
ラプチャーディスクは約0.5MPa以上の圧力で壊れるのですが、逃がし安全弁を開いてもラプチャーディスクが壊れなかったようです。
・・・・・?
圧力抑制室S/Cベント弁は閉じてしまったようです。
・・・・・!

ところで、
海水より淡水注入を先行させる部長の横やりで待ったがかかりました。

13 50分頃以降に電磁弁を操作するバッテリーはあったようです。
とにかく、313744分にバッテリーは確保されました。
また、海水で注水するラインはすでにできていました。

電源が確保されれば
必要な弁は全て中央制御室で開け閉めできます。
5時過ぎ、あるいは少なくとも8時前には
ベントできたことになります。

523分 圧縮空気を確保して8時頃に中央制御室へ帰った?」2時間37分の間、何をしていたのか??
と疑問に思いましたが・・・

どうやら、
部長の横やりで淡水注入することになり、
ベントも
淡水注入ルートができるまで待っていた。
本当かなと思いますが・・・?このように考えるしかありません・・と思う。

作業員はやりきれなかっただろうなあ~

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