2012年4月19日木曜日

3号機ベントは失敗?だった


ベントとは、逃がし安全弁とベント弁を開けたままにすることのようです。
3号機はベント弁を開けたままにしておけませんでした。
そうした意味で1号機も失敗だったのですが・・・

逃がし安全弁を開き圧力容器からでた水蒸気は圧力抑制室を通ります。
圧力抑制室で水蒸気はほとんど水になり、残りがベント弁をとおり廃棄筒から大気待中に捨てられます。

ベントをすれば、原子炉圧力容器も格納容器も圧力は大気圧とほぼ同じになりますので壊れることがなくなるわけです。
メルトダウンさえなければ、
?熱い使用済み核燃料プールの中に核燃料があるようなものですから?
今回のように大量に放射性物質は出てこなかったはずです。

逃がし安全弁が開かないと、1号機のように圧力容器の水位が低くなり燃料棒が露出してメルトダウンします。
ベントができなければ、格納容器が壊れて放射性物質が拡散します。

(2012/8/2 ベントができなければ、格納容器が壊れると考えるのは間違えかもしれません。
気体廃棄物処理系?とか言われるものがあったような気がします。
ベント以外にも格納容器の圧力を抜く方法があるかもしれません。
原子力発電所の水素爆発と放射能
で確認できますが放射能が沢山でたのは東電などが言うベントが終わった後です。
そして、恐ろしことに3号機の廃棄筒につながるパイプが外れていました。
http://photos.oregonlive.com/photo-essay/2011/03/fukushima_dai-ichi_aerials.html
で確認できます。
気体廃棄物処理系が原因として想像すると、無理やり気体廃棄物処理系で格納容器の圧力を抜いた時に外れたと思います。
しかも、少なくとも3回不自然な圧力操作をしたことになります。
勿論、プルトニュウム入り射能をばら撒くのは覚悟の上ですけど・・・
しかし、東電は全く本当のことを言わない。
自分で事故を起こし、自分で調査するのだからこんなことできるのですが・・・
プルトニュウムが出たか調べようともしない・・
この体制が変わらなければ、原子力規制なんか作っても意味はありません。)

資料は
です。


P203
139 20 分頃に3 号機のベントが実施されたと判断
空気ボンベの接続部分が十分接合されておらず、リーク箇所が認められたため、接合部にテーピングを巻くなどして応急処置を施した。
1311 17 分頃、3 号機のD/W 圧力が再度上昇 ボンベの交換作業を行った。
1312 30 分頃、3 号機のS/C ベント弁(AO 弁)大弁が開となったことが確認された。
その後、3 号機のD/W 圧力は、D/W 圧力計によれば
1312 40 分頃に0.4800MPa abs まで上昇
1313 時頃に0.3000MPa abs
1314 30 分頃に0.2300MPa abs
と再び下降傾向を示すようになった。
参考までに
1220分 淡水が枯渇し
1313分 海水注入開始しています。
影響があったかどうかはわかりません。

ドライウェルの圧力はこのあと後上昇しています。

ベントが完成すれば、煙突ができたような状態になる訳ですから格納容器は
1気圧≒1000hPa =100kPa0.1MhPa になるはずです。

図の東京電力通報資料は2号機でベントの場合の前提条件が示されています。


図の中ほどに
・圧力 8気圧→1気圧
とあります。
ベントすればドライウェルや圧力抑制室S/Cの圧力が大まか8気圧から1気圧になるとするのが前提です。

大弁が開けばドライウェルの圧力は1気圧になるはずですが、下がりません。
IA系配管の圧縮空気が漏れ、大弁(AO弁)は十分に開かず閉まったと考えられます。
IA配管系から圧縮空気が漏れ閉まったと考えます。

次の記述はベントとは関係ありませんが・・

3 13 14 15 分頃、第15 条 敷地境界放射線量異常上昇 報告。
モニタリングポスト放射線量が905μSv/h
1314 31 分頃、3 号機R/B 二重扉北側で300mSv/h を超える高線量が計測され、二重扉内側には白いもやが見え、同二重扉南側で100mSv/h と計測され、
これらが発電所対策本部に報告された。

公開されている放射能の値では
モニタリングポスト4で1352分に1557.5μSv/hを最高に下がり続けています。
***************
9時18分に逃がし安全弁を開く合理性がみつかりません。
逃がし安全弁を開いたとするのは、格納容器の圧力上昇を説明するものです。

ベントの手順は
ベント弁を開け→逃がし安全弁を開く→うラプチャ-ディスクが破壊される
です。

逃がし安全弁を開くことで、格納容器の圧力が上がり、ラプチャ-ディスクを破壊されます。
圧力容器の圧力が下がって、消防車で注水冷却できるようになります。
しかし、ベント弁を開けずに逃がし安全弁を開いたことになります。
これでは、ラプチャ-ディスクは壊れず、圧力はさがりません。
むしろ、格納容器を壊してしまう可能性があります。
こうした、状況で逃がし安全弁を開けるのは自殺行為です。
しかも、日本が潰れます。
3号機の冷却機能が止まったのは13日2時42分です。
9時18分は冷却機能が止まってから約6時間半後です。
この時、メルトスルーが起きて、格納容器の圧力が上がったと判断するのが合理的です。
その後、一時的に消防車で冷却できたかもしれませんが、圧力は上がり続けています。
消防車による冷却もできなくなって、裏ベントに繋がったと思います。
2013/1/25 Tama
***************

上のグラフは13日の放射能をプロットしたものです。
逃がし安全弁を開く前にモニタリングポスト4で放射能が高くなっているのが気になりますが・・・
爆発は14日です。

二重扉北側の300mSv/h=300000μSv/hや二重扉100mSv/h=100000mSv/hの値は公開されていないようです。データがあるなら公開すべきです。
「東京電力・・通報資料等の公表について」
をみると

モニタリングポスト4の905μSv/hは通報していますが38報)、二重扉のデータは通報されていません。
確かな値なら通報されているはずです。
公表されていないデータなら中間報告で用いるべきではありません。

P205
D/W 圧力
1314 30 分頃0.23MPa abs15時頃0.26MPa abs1530分頃に0.31MPaabs
再度上昇傾向を示すようになった。
S/C ベント弁(AO 弁)大弁の開状態を維持するためには空気ボンベだけでは不十分
3 号機R/B 内は高線量で立ち入りが困難
1315 53 分頃、可搬式コンプレッサーをIA 系配管に接続して空気圧を送る方法を採用することにした。

1319 時頃、この可搬式コンプレッサーを起動させた。
1320 30 分頃 (D/W圧力)0.425MPa abs 下降傾向を示さなかった
これは、可搬式コンプレッサーの容量が小さかったため、IA 系配管全体が加圧されてS/C ベント弁(AO )大弁に空気圧が送られるのに時間を要したことが原因であると考えられる。

1320 45 分頃(D/W圧力)0.4100MPa abs
1321 45 分頃に0.3200MPaabs
1322 30 分頃に0.2850MPa abs
13同月14 日零時頃に0.2400MPa abs
3 号機のS/C ベント弁(AO 弁)大弁が開状態を維持できるようになったと考えられた。

圧力抑制室S/Cベント弁(AO弁)大弁が開状態を維持すれば一気に0.1MPaになるはずです。
AO弁は少し開いてはすぐに閉まるといった動作を繰り返したと思います。
また、メルトスルーが起きていて注水により冷えて圧力が下がった可能性もあります
十分だと思ったボンベは少なくとも2本空にしています。
コンプレッサーによっても開かなかったのですから、IA配管系は地震で壊れたと思います。

圧縮空気を送る
IA配管系は既製品を
使っているかもしれません。

しかし、これが壊れると
逃がし安全弁の開状態を維持できず、
ベントもできません。
そうしたことが、3号機で起こったと思います。

P207
D/W 圧力は
D/W 圧力
14 1 時頃0.2450MPa abs2 時頃に0.2650MPa abs3 時頃に0.3150MPa abs
上昇傾向
145 20 分頃、小型発電機を用いて、S/C ベント弁(AO 弁)小弁に空気圧を送る IA 系配管の電磁弁を強制的に励磁し、同日6 10 分頃までの間、開操作を実施した。

MO弁は直流電源が必要です。そしてバッテリーはありました。

D/W 圧力
146 時頃0.4250MPa abs7 時頃に0.5200MPa abs
圧力上昇が顕著となっていたことから、S/C ベント弁(AO 弁)小弁についても、その開状態を維持することは困難であったと推認できる

原因はIA配管系が地震で壊れて圧縮空気が漏れたためと考えられます。

結局、AO 弁駆動用の空気圧を十分に確保することやIA 系配管にある電磁弁の励磁状態を維持することが難しく、S/C ベント弁(AO弁)大弁、小弁ともに、開状態を維持することが困難であった。

「電磁弁の励磁状態を維持することが難しく」とはどのようなことかよくわかりません。
要するに、ラプチャ-ディスクに繋がる弁は閉じてしまったのですから、あとは・・・
格納容器が壊れるのを待つしかありません。メルトスルーが起これば格納容器の圧力は上がります。
その時、消防車で注水できなければアウトだったわけです。普通に考えれば・・
結局、水を入れられた動力は電気ではなくディーゼルなんだからまともなディーゼルポンプも準備しなければならない。
これも今回の一つの教訓なんですが・・・
鉄骨を燃料プールに落とすやからには関係ないのでしょう。


まだ、メルトダウンしたか不明ですが・・

私の想像をまとめてみます。

3号機は原子炉隔離時冷却系RCICが止まり、再起動できませんでした。
止まったのも再起動できないのも原因不明です。

高圧注水系HPCIが自動起動したのですが、その動力源である「原子炉圧力」と「圧力抑制室S/Cの圧力」との差がなくなり自動停止します。

あわてて、ディ-ゼル駆動消火系ポンプD/DFPで原子炉を冷やそうとします。

そのためには、原子炉の圧力を下げる必要があるですが、IA配管系が壊れていて逃がし安全弁は開かず圧力は下がりません。

結果、原子炉圧力が高くなり、ディーゼル駆動消火系ポンプでは注水できなくなり、冷やすことが不可能になりました。

また、格納容器スプレイ動かしましたが、バッテリーを枯渇させるのですぐに運転を止めました。

(原子炉を冷やせなくなって、ようやく)
      時間の前後はわかりません。

消防車で海水注入するルートを準備し、
逃がし安全弁を開くバッテリーを集め
また、
原子炉建屋にあるボンベ圧縮空気を確保して、

ベントが可能になったのです。

しかし、

部長から横やりが入り、

淡水注入するルートが準備できるまで待つことになりました。

やっとベントしたら、
IA配管系で圧縮空気が漏れてベント弁や逃がし安全弁が開いたり閉じたりして十分にベントできない状態が続きます。
ボンベ2本を空にして可搬式コンプレッサーでなんとかベント弁を開こうとしたがうまくいきませんでした。

一方、注水作業は淡水がすぐになくなり、海水注水するまで原子炉を冷やせませんでした。


部長の横やりは論外ですが
想像通りなら
原子炉を冷却できなくなった原因は原子炉隔離時冷却系の故障です。
これが、1番目の主因です。
高圧注水系は原子炉隔離時冷却系の代用はできず自動停止します。
高圧注水系は長期間冷やすことを目的としていません。

この装置に事故原因を求めるべきではありませんが、
自動停止するのを見逃したのは
発電所対策本部や東電本店対策本部の責任と言ってよいでしょう。

動いている内に、消防車による注水に切り替えるべきでした。

??バッテリーを心配しなかったのは電気屋失格です。
??津波で交流電源がなくなった時点で、バッテリーの準備はすべきでした。



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バッテリーが枯渇したと言うのは間違えかもしれません。
高圧注水系が自動停止(東電は手動停止と無茶な訂正をしている)した後
格納容器スプレイを動かしているのです。
動かした後に東電本店から止めるように指示され止めました。
格納容器スプレイの動力源はまさにバッテリーだけなのです。
止める指示は、本当にバッテリーが枯渇するのをおそれたのでしょう。
つまりバッテリーはあったことになります。
しかし、原子炉隔離時冷却系や高圧注水系は再起動していません。

原子炉隔離時冷却系や高圧注水系の動力は圧力容器と圧力抑制室の温度差です。
その温度差がすでになくなっていたので、
原子炉隔離時冷却系や高圧注水系は動きようがなかった。
バッテリーがあってもどうすることもできなかったことになります。

可能かどうか分かりませんが・・
対策は圧力抑制室(トーラス)をなんとか冷やすことだったわけです。
これからの安全対策としてこうしたことは考えられていないと想像します。
480Vの特殊な電源車があれば、圧力抑制室を冷やすポンプを動かせるのでほぼ解決なのでしょうが・・

もっとも、は480Vの特殊な電源車があれば、2、3号機のメルトダウンはなかったと思います。
交流電源喪失とは480Vの電源の喪失だったわけです。

今後の対策として電源車の充実を計っているのでしょうが・・・
480Vのような特殊な電源車が配備されてないなら
ブラック・ユーモア
・・・・・笑えないか。


バッテリーは多分あったと思います。
でないと格納容器スプレイなんてとても動かせない。
バッテリー切れを事故の原因にしたかったのかもしれません。
バッテリ切れなんてとても電気屋に許されることではないので
経産省のアイディアでしょう。
過電流遮断が働いてケーブルが傷ついたなんて報告になってるのですから・・。
私たちは、文字されるとなんでもかんでも信じてしまう癖のようなものをもっているのです。
学校でそのように教育されたと言っていいです。でもそれは非常に効率がよいので避難しているわけです。
学校教育の副作用で文字で読むと信じるようになっていると言うことです。


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また、地震でIA配管系が壊れ、
逃がし安全弁の操作ができなかった事、
ベントができなくなった事
2番目の主因だと考えられます。

しかし一番の原因は
経済産業省、原子力安全・保安院、電力会社で作り上げた技術力の低下だと思います。
事故が起きても規制や指導は行われず、テキトウな報告で済ませてきました、中間報告はそれを引きずっていると思います。
原子力安全・保安院、東電は変わっていません。

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